卒業生ブログ 4回生 青木 支思
皆さん、こんにちは。第53代で会計を務めておりました、青木支思(あおきしおん)と申します。ついこの間、先輩方のブログリレーを読んでいた立場だったのに、卒業ブログを書く立場になったのか…と時の流れのはやさを痛感しています。
せっかくこのような機会をいただいたので、3年間部活動を通じて感じたことを綴っていきたいと思います。拙い文章ではありますが、目を通していただければ幸いです。
「自分の持つ献身の精神を体現したいと考えたから」
― 私の名前には、「支える心と思いやり」という意味が込められており、幼い頃から最前線よりも、組織を支える立場で一番力を発揮できます。
就職活動中、マネージャーを始めた理由を問われたとき、私はこう答えていました。とはいっても、この理由なんて後付けにすぎません。1回生の頃の私は、なんとなく「マネージャーをやってみたいな」と思い、サッカー部の新歓に参加し、部活の雰囲気が好きだったという単純な理由で入部を決めました。
今、部活動を振り返ってみると、私は本当に沢山の人に支えられた3年間だったと思います。マネージャーという、プレイヤーや部活動全体を支えるという立場でありながら、多くの部員に支えられていたことを実感しています。苦楽をともにした13人の同回生はもちろん、いつも相談に乗ってくださる先輩方や、「支思さん~!」と慕ってくれる後輩たちなど、私の周りには刺激的で素敵な人達で溢れていました。
しかし、自分がこのような環境にいることに気が付くことができたのは、つい最近になってからです。
1回生の頃、サッカー部の雰囲気が好きという理由で入部を決めました。部活動への期待感に胸を膨らませていましたが、練習が始まるとそんな思いは一瞬で消え去りました。
同回生で唯一、マネージャー未経験者であることや、サッカーのルールなんてハンド以外知らないことなど、右も左も分からない状況で焦りを感じていました。とにかく「マネージャーの仕事をはやく覚えないと」と必死だったことを覚えています。
練習が始まる何時間も前から電車に乗り、グラウンドに着いたら備品の準備をする。練習中はとにかく自分のできる仕事を探す。練習後、片づけをしたら急いで駅まで向かい、その足でアルバイトに行くという、家には寝に帰るだけの生活を送っていました。
そんな生活を続けていると、徐々にマネージャーの仕事にも慣れました。すると、プレイヤーに対して「何でこれをやってくれないんだろう」などと、不平不満を感じるようになりました。1回生から2回生にかけて、私は「マネージャーをする意味」を見失い、サッカー部を辞めるという選択肢も頭に浮かびました。かといって、辞める勇気はなく部活動を続けるという選択をしました。
そんな私にとっての転機が、3回生の3月に新型コロナウイルスの流行によって部活動が禁止されたときです。
オンライン上で幹部ミーティングを行う中で、プレイヤーと対立をすることがありました。主将とはミーティング後、LINEで言い合ったこともあります。対立をする中で、私は「人に期待することを辞めよう」と決意しました。自分の発言したことを全て理解してもらおうとしたり、この仕事をやってほしいと期待しないように心がけました。
そうすると、他人に対して負の感情を抱くことも少なくなり、自分が「人を支えること」が好きでマネージャーを続けていたことを思い出しました。すると、私の周りには学生主体での部活動運営に励む同回生や、練習が円滑に進むよう動く後輩の存在に気が付くようになりました。そして、私が困っているとき、手を差し伸べてくれる仲間がいることを改めて認識することができました。
人はどうしても「やってもらったこと」よりも、「やってもらえなかったこと」の方が心に残ります。人を減点式に評価するのではなく、プラスのこと目を向け、加点式で捉えることの大切さを部活動を通じて学びました。
滋賀大学サッカー部に入部して、少しは成長することができたのかなと思います。サッカー部で、尊敬できる先輩方や部員に出会えたこと、「人を支える」という、自分にとって大切なものが見つけられたことが私にとって大きな財産です。これまで、部活動を通じて関わってくださった全て人に感謝しています。そしてこれからも、自分の名前に恥じないように生きていきたいです。
最後になりましたが、平素より多大なるご支援・ご声援を賜りますOBの皆さま、この場を借りて御礼申し上げます。コロナ禍が続く中でも、サッカー部が活動できているのはOBの皆さまのご支援のおかげです。引き続き、滋賀大学経済・DS学部サッカー部をよろしくお願いいたします。
青木支思
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